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2011年8月

すぎゆく夏。

Epsn0230fuukanoe次女の夏休み中描いた絵。



震災から五ヶ月が過ぎ 3.11の地震 津波の検証番組がチラホラと放映されるようになった。先日も 被災者がおさめた画像を時系列に並べ 改めてあの日を振り返える番組を見た。
というか・・見ようと思ったが、数十分たって子供たちが「怖いから 見なくていい?」と言い出した。「いいよいいよ・・・」と答え それからは口々にあの日がどれほど 怖かったかを話した。私自身、予想を越えて動揺してしまって 胸が苦しく気分が悪くなった。
今更ながら 自覚がなくても 深層に大きく残った記憶に驚いている。
番組自体は 冷静に今後にいかせる内容だったと思う。
頭では分かっているのに 人間というのは やはりどの動物とも変わらない生かされている動物なのだと実感する。
同時に 毎日元気に復興に向け頑張っている人が テレビに映し出されている、その人たちの心の深い部分を思い 不安が過る。今は底を見ないように気を張っていると思う。
物理的な復興よりも 余程時間のかかる事なのだと思う。

ここ最近スーパーの店頭に福島産ばかりが並ぶようになった。
地元応援という事なのだと思う。 新聞や県発表で野菜のベクレル数値が基準値以下だという事を連呼している。
本当に申し訳ないけれど風評被害が全てだと私にはどうしても思えない。
線量計を持って近所を巡っても明らかに数値のばらつきがみえる。 畑だって同じなのでは・・検査済みの農家の隣が同じ結果とは思えない。
福島県民でありながら 福島から遠い産地の野菜を探して購入する。
そして、何気なく食べていた福島の野菜がいかに美味しかったのか実感する。
失礼を承知で、福島の農家の方をあつく支援してほしいと心から思った。
宅配野菜の盛り合わせで他県産地限定のもの  福島産限定(復興応援)のものと選ぶ事が出来るらしい。いいアイディアだと思う。 消費者の年齢などで意識も様々だと思うから。

この数ヶ月は本当に忘れられない日々となった。
それでも 子供たちは 毎日を一生懸命 すごしている。
夏やすみが終わった・・・・



Epsn0335kaitohousaku今年の末息子の工作はフレーム。

Epsn0336gakutonoe双子兄は未来の家を描いてみた。

Epsn0339ikutonoe双子弟は交通安全ポスター。

Epsn0330gattsyousai

Epsn0333sanninまるまる夏休みを合唱祭の練習に捧げた三人!!

掃除をしていたら 手作りのリュックが多く出てきたので少しだけアップ。

Epsn0345ryttku友人に作ってもらった物。

Epsn0347ryutku洋服とおそろいで作った長女のオムツリュック。

Epsn0343ryuttkuティッシュが直接出せるリュックとレッスン用。


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2011年 7月 映画生活 MEMO

いやあ・・気がつけば八月も数日。
七月のメモを忘れてしまっていたので一応書きとめておこうと思う。
こうしてみると・・どんな映画も 良くも悪くも 感想というものが 発生していたはずが・・
その感情の揺れというものは褪せてしまうものだ。だからこそのボケ防止活動なのだけど。
「これいいのよ。」と言っておきながら ストーリーや役者さんの記憶が抜けてたり(笑)それでも スキ。という気持ちだけは残るんだな。
初恋のように痛い部分も含めてなんだけど。bleah

アナとオットー       1998 スペイン 監督 フリオ メデム

Anayotto

(ストーリー)アナとオットーは八歳の時 森の中で運命的な出会いをする。ふとした事がきっかけでアナの母とオットーの父は再婚。
二人は義理の兄妹となる。愛し合うようになる二人だがオットーの実母の死をきっかけに彼は家出。二人は離れ離れに・・
成長したオットーはスペインとフィンランドを往復する航空郵便のパイロットとなる。

happy02ANAとOTTO。二人の主人公。 この二人の名前のようにどちらから読んでも同じようにお話自体もちょうど 円のように繋がっている。
冒頭とラストもしかり。 映像の組み立てもねりにねっている感じである。
二人のそれぞれの目線から出来事が綴られるが ほんの少しずつ違ってすれ違ったり結びついたりする。ラストのアナの突然の死は 納得できないとの意見も多いが  私はこの円状に物語を 気がつけば追っていたのであまり悲しい気持ちにはならなかった。
きっとまた違った形で二人は出会うはずと思えたから。
余韻も独特な作品だが 不思議と嫌な感じはしない。フィンランドの美しさと作品の持つリズムが心地よい。

その他七月鑑賞作品。

315x210 2.ノルウェイの森

原作を読んだ若かりし頃が思い出された青春!キャストの違和感がどうしても否めない。

41qzbxb955l_sl500_aa300_3.マイドック スキップ

本当に心優しい幸せな気持ちにしてくれる作品。私もスキップのような友達犬がほしかった。


41zelt7mhvl_sl500_aa300_4.カポーティ

作家カポーティを描く。 冷血以降書くことが出来なくなった彼。丁寧に心中を描く。

51j4rx2uodl_sl500_aa300_5.トイレット

その昔・・青山スパイラルでアート小物を 目の前に近づけガン見しているもたいさんをみかけた。ファンだったので(やっぱり猫が好きあたりの頃。)声をかけたかったけれどその存在感に どうしてもかけられなかった。(笑)独特な役柄をこなす女優さん。今回は主役であり一言も台詞のない難役であるが いつも通りの楽しさ。

51paphfwasl_sl500_aa300__36.ミックマック

アメリの監督の最新作。登場人物の楽しさだけでお腹いっぱい。風刺のきいたテーマながら御伽噺を見ているようなワクワク感が続く。

D1132108667.サヨナライツカ

男が夢みる女の幻影。繊細な仮面を被ったおじさんがちらつく。

Main_1_28.今度は愛妻家

失わなければ妻の大切さにきがつかなかったろう・・普通に暮らしていたら円満に別々の人生をまっとうしていただろう・・どちらも真実。どちらがいいかなんて分からない。男が夢見る切ない物語。セーラー服と機関銃の薬師丸ひろこ・・デートで見に行きました。このところ風格がでてきました。私と同い年です。(笑)

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油断。

Epsn0319man

マカロンになりたかった饅頭。中身はフルーツ味のあんこです。

私の生活は常に 油断との戦いだ。

ちょっと油断をすると嘘のように時は流れてしまうし・・(初めから遅筆の言い訳だけど)ちょっと油断すると太ってしまうし・・(コレは饅頭を買った言い訳だけど)

ちょっと油断すると増えた物の置き場所を作ろうと棚やら棚を作れそうな物(ホームセンターや100均で)を捜し求めて幸せタイムを満喫してしまう。

「そうだった。そうだった。まずいらない物を処分してからもう一度考えてみよう。」と今日も店を後にした。いつもgoneさんをリスペクトしてるのに・・

この油断はそう・・ココ ニ、三日 過ごしやすくなったからだ。 秋になれば 身にまとう物もバリエーションが広がって 発作的創作意欲も ニキビほどに沸く。その上 食欲も沸いて夏に駄目人間と化したその上をいく駄目人間に成長する。

油断。有力な語源は「北本涅槃経ニニ」の王が臣下に油を持たせて「一滴でもこぼしたら命を絶つ」と命じた事らしい。命を断つ。---恐ろしい事だ。命をたたれる覚悟で 信念を曲げた事をしなくてはならない。ついうっかり。なんて 持っての外である。

油断といえば いつも思い出される時代がある。中学生時代の私は ひとりぼっちの自分の姿に怯えていた。それだけのために 思ってもみない事を言ったり 気が進まない事につきあったりしていた。今のようにマイペースが個性としていい意味で使われる事もなかったし オタクなんて言葉さえなかった。スカート丈が物差しで計られ 精神注入棒という木刀を教師が誇らしく持ち歩いていた。 自分の上に着ぐるみを着ているようで脱ぎ着するのが習慣みたいだった。

世の中に苦労人の私のような人間がいるように 何故だか分からないけれどいつも人の中に容易く立つ人種がいる。

S野 忘れもしない女である。(きっと彼女は私なんて記憶にない。)彼女は 家庭に事情がある子で高校に進学する事もなく ハサミ一つで身を立てていく事を目指した。鼻水をたらしているようなお子様な私たちとは比べられないほど大人に思えた。そのそこはかとない臭い 色気みたいなものに皆 痺れていたのかもしれない。

ある時 前触れもなく 私はS野組に 仲間ハズレにされた。

生き難い時代に拍車がかかった。その中にあって私は何処からでもかかって来やがれ。という覚悟をしてラスト侍として身を潜めて過ごした。

ある時  また前触れなく 何もなかったように彼女に微笑まれた。

思わず私も微笑んでしまった。本当は気持ち悪くてしかたなかったのに。内臓の内側にぐっしょり汗をかいた。

「油断」してしまったのだ。油断した自分が情けなかった。 ついうっかり。吹けば飛ぶように。自分が玩具みたいに思えた。子供のする事だけど。今でも私は思い出し・・恥かしくなる。何故だろう。

この変な事にいつまでも執着する 器の小さい蛇のような性格。これは息子に受け継がれてしまった。歳をとって 一人ぼっちの自分の姿に怯えなくなった私。

まだ小さくぽっちりとあの時の「油断」を痛みとして抱えている。

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夏休みのできごと。おしごと。

夏休みに入り・・10日余り・・
子供たちは部活やイベントでいそがしそうだ。
私の仕事も少しだけ。

Epsn0112tomato

そのまんまトマトは食べないのでゼリーにしてみました。

Epsn0138bennto

部活で弁当も数多い。

Epsn0154maturi

今年は 1メーター380円也の生地でコンの甚平を作りました。

Epsn0169risatogasuparu

次女とリサとガスパール展に出かけました。

Epsn0172dezato

いつもは人数が多くて手の届かないデザートプレート こっそり ふたりで食べました。

Epsn0205welcome_2

随分前になりましたが初めてトールペイントを教わりました!

Epsn0202hi9noka

Epsn0200hinoka

長女の誕生日。。早いものです・・・・

そして・・・まだまだ夏は続くのだ!!

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佐野 洋子

Epsn0199sano数日、佐野さんの本を何度も読んでいる。

昨年 絵本作家の佐野洋子さんが亡くなった。 中学生くらいだったか 丁度子供と少女の間位の時期で名作「100万回生きたねこ」とであった。

100万年もしなないねこがいました。

100万回しんで100万回も生きたのです。

りっぱなとらねこでした。

100万人の人がそのねこをかわいがり、100万人の人がそのねこがしんだときなきました。

ねこは、一回もなきませんでした。

(佐野洋子 100万回生きたねこ より)

どんなに愛されても誰よりも自分が好きな猫は死ぬ事など何でもない。100万回も生き返ったのに涙一つこぼさない。そんな憎々しい猫が自分のように思えた。ラストでようやく自分より好きな猫と出会い本当の意味での死を迎えるのだが  これを読んだ時私は やっと死ねたのか・・本当によかったと心から思った。死生観といったらひどく大袈裟かもしれないが 少女であっても生きていく事はやはり光きらめく事ばかりではなかった。絵本でそれを感じたのは初めてだったように記憶している。今春 追悼特集が川河出書房から出版したので 購入し 手持ちの過去の物をまとめて読んだ。

絵本ももちろんだけれど そのエッセイの爽快感に引き込まれ数十年 佐野ファンだった私。どの文章も よくここまで潔く後先考えずあからさまに書けるものだと感心した。普通の人なら血を流して倒れているであろう事もどこか笑える。いや・・倒れて泡を吹きながら辛くて涙を流しているのに笑っているというのだろうか。彼女自身はよくヨダレを垂らしていても・・という言葉を使っている。

佐野さんの文章には肉感的な死の断片が数多く出てくる。それは誰でも思い当たる経験であるけれど 一応 あまり堂々と言わないでおいたものだ。彼女自身が子供時代から 実父 兄弟を看取ってきたから すぐそこに死ぬ事は転がっていたように思う。

弟の 小さなぷくぷくとした手のひら。おんぶをした弟の身体がどんどん熱くなっていった事。それが死に向かっている事と知ったのは大人になってから・・ そして目の前の小さな死体。
「ダラダラ泣き、でも次の日はケロっとして、思い出す時だけダラダラ泣きました。」

私も時々 亡くなった人を思い出して本当にダラダラとだらしなく泣く。

美しい死の情景はいくつも文章としてあるけれど私の経験したそれは 佐野さんのと近い。どんなに 込み入って難しく生きていても 人って 死ぬんだ。ココまで。と電池が切れるように。
三年前 父が逝った時 つくづく 感じた。

「シズコさん」は母を愛せなかった娘の告白である。
私自身は普通に愛を注がれそだったけれど それでも心の棘みたいなものもなくはない。これを読んだ時 なんだか心が楽になった。ここまで書かなくても・・と思ったが いつも通りのあからさまで 人が一応 言わないでおいた事が どどんと書かれていた。人と向き合うのは血が繋がっていても苦しい事だ。少しでも女々しさを感じたらきっとぽろっと深い所に落ちてしまうかもしれない。踏ん張って読んだ。そしてすっとする。
最後まで佐野さんは佐野さんだったから。

二十年以上前から文通友人の○○ナベさんとエッセイでは 佐野作品と 若くして亡くなった消しゴム版画家の ナンシー関作品については よく語った。肉感的且つ動物的だったから?いや正直だからかな・・?女性ライターは沢山いるけれどこの二人は類まれない。みんな死んでしまったねー。サミシイねえ。また話したいねえ。
言葉どおり 最後まで羨ましいくらいの死に方だった。
80近くても死に怯えている人もいるし 100でも老後の蓄えをしてる人もいる。
大袈裟にいう死生観は人それぞれなので お茶の間で話題にすれば飯がまずくなるのは分かってる。そう言いながらも 今日も私の中で 死ぬ事が生きる事の裏地みたいに離れない。存分に私はうざったがられてるぜ。(笑)

死なない人はいない

そして死んでも許せない人など誰もいない

そして世界はだんだん淋しくなる。

(佐野洋子 死ぬ気まんまんより)


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